現実主義者は未来を嘆いて絶望する
僕は勉強が好きだ.
目の前に課された問いに没頭することで,ふつふつと湧き出る有象無象の下らない思考が侵入してくるのを防げるから.
ここでいう下らない思考とは,例えば人間関係,将来に対する悩み,絶望などだ.
普段からこういった思考に日常を侵されている自分にとって,勉強とは最大の逃げ道といえる.
僕は現実主義者だ.
高すぎる理想を追い求めず,現実を見据えて絶望しながら生きている.
何事も着実に計画を立て,そのプランに沿うように生活する.万が一のことも想定し,色々なルートで計画を立ててそれをこなす.
この生き方にとって最大の敵は何か.
そう,自分自身の思考である.
毎日生きていれば,色々なことに思いを馳せるだろう.それが僕の綿密な計画を乱し,思考回路にちょっかいを出す.
先ほど述べたようなことだ.将来自分はどうなるだろう.このままでいいのか.今のうちに何をすればいいのか.
現に,最近はそのような思考が僕の脳内にどっかりあぐらをかいてねぞべっている.
勉学に集中することもできず,沸いて出てくる黒い想像に日常を侵されている.
大学三年になってはや3か月,そろそろ進路が気になる時期だろう.院進して研究職に就き,化学の道に自らを投じる.これが僕の大まかすぎるプランだ.
そこから逆算し,今何が必要か考える.まず,今の大学では研究者にはなれないだろう.あまりにもレベルが低い.
外部の大学院を受験する必要がある.そのためには英語と化学をやらねばなるまい.研究室の訪問も忘れずに.そもそもどこで何をしたいのか決めないとね.
......現実に最大限重点を置く自分の考えから逸脱している.今の思考は遥か遠く見えないところまで足を伸ばしている.
これだ.自分が最も大切にする規則と現実に齟齬がある.
これが今の自分を悩ませている原因だ.下らない思考に身を侵されている.
結局,将来など現実の延長でしかない.
毎日その日を最大限生きることでしか報われない.
何もせずに一年後,思い描いた通りになっているわけがない.地味ではあるが積み重ねることにしか意味がない.
なのに僕は遠い未来のことしか考えていない.大切にすべき現実から目を背けている.
もしかして"下らない"思考に侵されているのではなく,その思考に身を預けることで安心しているのではないか.
思い描く将来像にくるまって満足しているのではないか.
哀れだ,もっと現実を見て絶望しないといけない.今の自分には何もかも足りていないということに.
きっとどんな状況になっても自分は満足できないだろう.そこに思い描く将来がある限り.それは今までの自分が証明している.
そして,無理にポジティブになる必要はないと常々思っている.常にささやかな絶望を浴び,それを享受して分析することに意味があると思う.
ある意味,絶望というのは生きている証明なのかもしれない.
それは過去のことに対して絶望することはできないから.